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「自然体の研究」が合併しました。

自然体の研究< 第 2 章 >

第2章はスポーツにおける身体の動かし方について考えていきたいと思います
2-1-1 動き始めの分類

スポーツをするとき、その競技に直接かかわる動き始めというのが必ずあります。
例えば、野球のバッターは打つことをしなければ競技が成り立ちませんから、「打つ」ことは競技に直接かかわる動きですが、ピッチャーがボールを投げるまで足をチョコチョコ動かしてタイミングを取ろうとしているのは、絶対に必要なわけではありませんので直接かかわる動きとは言いません。
ここでは直接かかわる動きについてのみ考えます。

スポーツにおける動き始めは、おおまかには三つに分類されます。

ひとつはヨーイドンで動き出すもの。
陸上トラック競技や競泳などは文字通りこれです。音楽に合わせて演技をする新体操やフィギュアスケートなどもこの仲間です。野球のバッティングも分類としては同じでしょう。
ヨーイドン系と名づけます。

ふたつ目は自分のタイミングで動き始めるもの。
体操などの演技や野球のピッチャー、テニスやバレーボールのサーブ、ゴルフのスイングなどがここに分類されます。
自分勝手系と名づけます。

三つ目は相手やボールなどに合わせて動き始めるもの。
格闘技や多くの球技はこれです。サーフィンは波に合わせて動き始めます。
あなた次第系と名づけます。

実際には、テニスのサーブレシーブのようにヨーイドン系とあなた次第系が混ざっていたり、相撲の立会いのようにもっと複雑に混ざっているものもあります。
そして、どんなスポーツでも、一度動き出したらあなた次第系になります。
自分の状態、相手の動き、ボールの動きなどに合わせて次の動きを始めなければならないのです。

それぞれの分類によって求められることは異なりますので、当然、その時の自然体とはどうあるべきかというのも違ってきます。

2-1-2 ヨーイドン系に求められるもの

 陸上短距離、水泳、スピードスケートなど、神経を研ぎ澄ませてスタートの合図を待ちます。
 この時、ドンの合図で求める動きを起こせるような体勢が求められます。
 まったく力が入っていない筋肉に一瞬で100%収縮しろっていっても無理があるので、ヨーイの合図である程度力を入れておきます。
 とは言っても、一方方向に力を入れれば身体は動いてしまいますから、それと拮抗する力(重力も利用します)も加えておきます。
 そしてドンの合図で収縮すべき筋肉にさらに力をいれ、同時に拮抗してつっかえ棒になっていた力を抜く。これでドカーンとスタートできるわけです。
 この時、重心を大きく速く移動させるためには、接地しているところに加わる力が、反力として全身に伝わらなければなりません。足の裏で地面を押す力が頭のてっぺんから指先まで100%伝わってこそ良いスタートと言えます。
 野球のバッティングの場合も、足がしっかり地面をとらえていなければバットを振ることはできませんから同じです。
 音楽に合わせて演技をスタートするような場合も基本は同じですが、それほどスピードを要求されることはないので、普段歩き出すときのように重力を利用して自然に動き出すことが多いようです。ただし、タイミングは合わせたいので神経は研ぎすませています。

 人間ですから、ヨーイで構えた時にとった体勢が常に完璧とはいきません。外見上は同じに見えても、微妙に違っていることがほとんどです。
 この時、全身の神経が反射して、身体のある部分で足りないことを他の部分で補って完璧に近い状態に持っていこうとします。
 よくトレーニングされた人は、大脳で考えなくても自然体でそれが行われるので、いつでも完璧に近いスタートができるのです。
 逆にそれをできなくさせるのは、プレッシャーだとか迷いだとか、大脳が作り出す条件であることの方が多いでしょう。

2-1-3 自分勝手系に求められるもの

 ヨーイドンじゃなくて自分のタイミングで始められるものはどうでしょう。

 ヨーイドン系ほど神経は使いませんが、一度動き始めたらやり直しはできませんので、やはりベストに近いタイミング、フォームを求めます。
 自分勝手に始められるからこそ完璧を求めますので、大脳が余計なことを考えすぎて失敗してしまうこともあります。
 また、いくら自分勝手に始められるからといっても、ほとんどの場合時間制限はありますから、あまり時間をかけすぎると制限時間に余裕がなくなり焦ってしまうことになります。
 何らかの迷いを生じてしまっているようなとき、自分から動き始められず、いっそ誰かにヨーイドンと言って欲しいと思うこともあるでしょう。

 自分勝手にできるだけに、メンタル面の影響を強く受けてしまいがちなのが、この自分勝手系と言えるでしょう。

2-1-4 あなた次第系に求められるもの

 動き始めは、自分のことより先に、自分のことを動かそうとする対象に気を使います。格闘技ならば戦う相手、球技ならばボールと自分以外の選手、サーフィンで言えば「波」です。
 この時、ある一方方向に力が入っていたら、逆を取られた場合、動きが遅れてしまいます。相手にそれを利用されてしまえば、すなわち負けです。
 わざとそうさせてその裏をかくということもあるかもしれませんが、その場合でもすぐに相手の動きに対応できる準備をしておかなければなりません。
 かなりニュートラルな状態で待っている必要があるわけです。
 ただ、完全に力を抜いた状態では、すばやく対応できなくなってしまいますので、小刻みに体を動かしておくとか、つま先に体重を乗せておくとか、少しは筋肉に緊張を与えておく必要があります。
 そうしておいて、対象が動いたらそれを身体の諸器官で察知して神経に反射させるのです。
 さらに、それは一連のプレイの中で常に行われていることなので、どこが動き始めなのかはっきりしないことがほとんどです。
 相手に合わせて動き始めたら、相手のそれはフェイントで、自分も違う動きをしなければならないなんていう場合、一度動き始めたものをやめて違うことを始めるわけですから、動きながらもすぐにニュートラルな状態を作らなければならないのです。
 相手のどんな動きにもすぐに対応しうる状態が、この場合の自然体ということになります。
 “隙がない”ってことですね。

2-2-1 動きながら反射している身体

 動き始めてしまえば、身体は動き始めの「あなた次第系」と同じことの繰り返しということになります。
 あらゆる状況変化を、身体全体の諸器官を使って感知し、すばやく最良な方法で反射して筋肉を動かす。(この“最良”な選択というのが、第1章で述べたように、練習量によって差が出てくるところです。)

 その時、大脳はと言うと、その局面のことよりも、次に行うべきことを考えていなければなりません。次の次、あるいは優秀であるほどもっと先のことを考えています。
 「今、このような状況だから、ああしてこうしてそうなれば勝てる」と、将棋や碁のように論理的に自分の戦術を積み上げています。
 さらに、そのような思惑通り行かなかったときには、すぐに別の方法を選択していきます。
 これも練習や試合の経験を積むことによって、身体の反射のように反射的に思い浮かぶようになります。
 実際には、「あれをこうして…」などと言葉で思っているわけではありません。「あッ、右に行かなきゃ」なんて、言葉では行動に移るまでに時間がかかりすぎてしまうのです。
 選手は映像を頭に描きながら運動しているのです。
 その映像と自分の動きが合致するようにするために、その相違点を身体中で感じて、反射して修正しながら動いていくのです。

2-2-2 動きながら何を考えているか

 具体的に例えてみましょう。
 家から近所のスーパーまで買い物に行こうとしたとします。
 まず、歩いて行こうか自転車で行こうか、車に乗ろうかと考えます。
 歩きに決まったとして、次に、どの道を通っていこうか思い描きます。
 そして何を買って何時ごろには帰ってこられるだろうと予測します。
 いざ出かけてみると、通るはずだった道は工事中。回り道を示す看板はあるけれど、「いや待てよ、隣の公園を突っ切れば近道ができる」と考え公園を通ってスーパーへ。  買い物が終わると、ちょうど近所の奥さんと鉢合わせ。例によってちょっとしたおしゃべり。工事の回り道とおしゃべりで、家に帰るのがちょっとだけ遅くなるなと予想を修正します。
 となると、子供を迎えに行く時間までに洗濯物を入れるのを急がなくちゃならないと、次の行動も思い描きます。

 いかがですか? スポーツに置き換えてイメージできましたか?
 スポーツではこれらの思考が一瞬で、連続して行われています。
 そして重要なのは、道路の角を曲がるのにいちいち曲がり方を考えたり、階段を上がるのに足の運びを考えたりしていないということです。
 そんなことを考えていたら、スーパーに行くはずが郵便局に着いちゃったなんてことにもなりかねません。
 戦術的な思考と、身体の個々の動作は切り離されているほど、目標(勝利)に近づきやすいということなのです。

2-3-1 動作の最後はどうあるべきか

 動作がピタッと止まって終わる競技は体操系のものくらいなもので、たいがいは動きながら競技は終了します。
 その時点で緊張を解いて筋肉を楽にします。
 それは競技の終わりですからそれでいいんですが、競技中のひとつひとつの動作の終わりというとそうはいきません。

 例えば、テニスのストロークを打った後、ダラッとしている場合じゃありませんし、柔道で相手を投げたからといって油断してると押さえ込まれたりしてしまいます。
 競技中は、ある動作の終わりが次の動作の始まりでもなければならないのです。 
 ですから、前の動作が次の動作を起こしやすい状態で終われば、次の動作がすばやく正確になります。
 ただし、次の動作を考えるあまり、前の動作の質が落ちてしまうことにもなりかねません。

 A→B→Cと続く動作のパターンがあったとします。
 練習でこれを繰り返しやっておくと、A→B→Cの動作のつながりはスムーズにできるようになります。
 しかし、状況によってAの後にDの動作を入れなくてはならないとなったとき、動作のつながりはバラバラになり、何一つまともにできないなんてことにもなりかねません。
 状況を把握し次の動きを選択するのは、多くの場合大脳の仕事です。
 大脳がそれをやっている間、身体はA、B、C、あるいはDという動作のひとつひとつを正確に行っていることが基本になければならないのです。

2-3-2 自然体を求めて

 動き始めから、動きの途中、動きの最後と一連の動作がうまくいくと、選手は結果がどうであれ「悪くない」と言います。
 逆に、たとえ優勝しても、納得いく動きができていないと「?」と首をひねります。
 競技はそれ1回きりではなく、また次の試合がありますので、「?」な動きをしていたのでは次はダメだろうと感じるからです。
 それでも、その「?」に答えがみつかれば、「課題が見えた」と言って喜ぶのです。
 優秀な選手ほど繊細にそれを感じますので、なかなか「満足いくプレー」という言葉は聞かれなくなります。
 自然に無理なく力を出し切れる動きを求めて、毎日毎日鍛錬していくのです。